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傷だらけの凱旋

 投稿者:mark  投稿日:2009年 8月 7日(金)23時55分50秒
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  アンタレス船長

 昨日(現地時間6日)の午後2時半、ご心配をおかけしましたが、無事バンクーバーに戻りました。予定の4週間より2日早い帰港でした。

 大変に厳しい航海でした。この海域の干満の差は最大16フィート、最大潮流は10ノットも流れ、度々潮待ちを余儀なくされました。ドロミテナローという難所は、干潮では海底が表れ、満潮の一時しか抜けられませんが、通れる場所は僅か10メートル足らずの幅で、なおかつ逆S字に蛇行しています。それ以外の場所には暗岩が隠れているのです。

 岸に四箇所大小のポールが打ってあり、それを目標に直進し、ポールが一本に重なったら転舵し、再び直進、次の目標が重なったら直進を繰り返します。ところが蛇行する浅瀬の激潮で、速度が足りなければ舵を取られるのです。

 理屈は分かってはいても、座礁を恐れてスピードは3ノット以下の微速で前進したところ、予定のコースに乗っているのに、潮に流され、最後の難所でキールが暗岩に引っ掛かり、慌てて後進。どうしてこの難所を抜けるか混乱していると、先行するチャーター船の船長から「底を打ったのが見えた。後進して俺の船が通れるスペースを作ってくれ。直ぐにそちらに向う」との無線が入りました。

 この難所を知り尽くしている流石にプロの船長で、数人の客を乗せた船を転進させて私の空けたスペースを抜け、比較的広い場所でUターンして背後に回り、無線でコースを指示してくれので、何とかこの難所を抜けることが出来ました。

 この他、別の難所でも進入路を間違えて底を打ちましたし、海面のあちこちに浮遊する長さ6、7メートルもある昆布の群れでは、昆布をスクリューに巻き込む危険性が高く緊張の連続を強いられました。昆布は丁度猛獣使いの使う鞭のような形で、根元は女性の握りこぶしほどの太さですが、先に行って細まり、先端では1センチほどになります。岸へ上るためのテンダーの船外機のプロペラには再三昆布が巻き付き往生しました。

 ヨットが昆布の海域に突入した時は、スピードを上げ、直前でニュートラルにもどしてプロペラを止めて巻き付きを防ぎ、惰性で昆布を乗り切りると再びプロペラを回すの繰り返しです。操船は難しくないのですが、絶えず前方をウォッチしなければならず気疲れしました。

 昔の船乗りが世界には7つの海とヘッケン海峡がある言った本土とクイーンシャーロット諸島の間に横たわるヘッケン・ストレートの海域は、平均90フィート余りと浅くて絶えず性悪の、2、3メートルのうねりと波が立ち、3日に1度は30ノットを超えるゲール(大風)が吹く難所です。幸い行きは多少荒れましたが予想したほどではありませんでした。

 ところが帰りは風も波も穏やかだったものの、五里夢中を地で行く濃霧が発生、おまけに120マイルのナイト航海の中、一晩中右舷9マイル程の全海域に雷雲が発生、稲光と雷鳴が轟き続ける何とも不気味な一夜となりました。こんな中をレーダーだけが頼りの手探り操船の上、夜中になって気温は10度以下に下がり何とも辛い航海となりました。

 レーダーは行き交う船の姿は映し出すものの、海面を漂うログ(丸太)は映りません。カナダの海域はあちこちにログが浮かび、巨大なログをヒットすれば船体は損傷しますし、運悪くプロペラに当たれば航行不能に陥ります。まさに運任せの操船を強いられたのでした。

 北緯52度37分の湾では冷たい海にダイブする羽目にもなりました。前日500メートル程離して落とした蟹駕籠が潮に流されて船に達し、蟹駕籠のロープが船底に絡み付いたのです。我が艇の長老ジョージは83歳、37歳でプロ写真家の唯一の若手クルーは子供が1歳になったばかり、まさか途中から乗り込んだ嫁入り前の娘を潜らせるわけにもいきません。

 緯度から言えばサハリン(樺太)の北部に当たる海域で、まだ日が上ったばかりの早朝ですから海水は身を切るように冷たいのです。こんな冷たい海に潜ることなど想定していませんからウェットスーツの準備もなく、ほんの気まぐれに積んだ競泳のゴーグルがあるだけです。

 意を決して水着とTシャツ姿になり、スターンのラダーを下ろして足先を水に浸けました。狭心症で6本のステントが入っているガラスの心臓の持ち主にとっては、これだけでショック死しそうでした。徐々に体を沈めて慣らしましたが、胸まで浸かると歯の根が合わぬ程に冷たいのです。

 エイヤーとばかり全身を沈め、ロープが絡みつく先を見極めようとしましたが、プロペラとキールに巻いていないを確認するのがやっと、余りの冷たさに15秒ほどで船に上りました。Tシャツが肌にまとわり付いて余計に寒く脱ぎ捨てました。

 とても直ぐには潜れないので2、3分休んで再度のダイブ、今度は舵の軸受け部の隙間にロープが噛んでいるのを確認。ロープ切断用のシーナイフを片手に三度目のダイブで船底に潜り込み、切断しようとロープを掴んで引っ張ると上手い具合にするりと外れました。潜っていたは30秒足らずですが、身を切る冷たさに頭を船底に何度かぶつけながら、やっとの思いの脱出でした。あの冷たさの中に3分も使っていたら低温死は確実です。

 娘が沸かしておいてくれたお湯を頭からかぶり、バスタオルで体を拭き、熱いコーヒーで何とか一息つきました。これに懲りて、バンクーバーに戻ったらウェットスーツを買い込むつもりです。

 最大のピンチは帰港前日でした。この時期普通は北からの追っ手の風が吹くのですが、前の日から風は南に回って、この日も20~25ノットのかなり強い前風でした燃料ゲージのメモリは半分より上ですから、燃料に空気が入るエアが噛み状態と判断して、若いクルーに給油口から空気を吹きこむように指示したのですが、全く効果がありません。

 元フォードのメカニックだった長老ジョージは、エンジンルームの蓋を外し、給油用のゴムホースを切断し、そこからエアを吹き込みましたが効果なし。ゴムボートを膨らませる足踏みポンプを取り出し、体重90キロの私が全体重をかけてもポンプを踏めず、空気は抜けません。

 結局何らかの原因で給油ポンプが詰っていると判断して、メインタンクからの給油は断念。10リットル入りの予備ポリ缶に切断した給油ホースを差し込んでエンジンを再始動させました。この間約2時間、前からの南風で2ノットのスピード船は押し戻されて漂流状態。狭い海峡なのでジブセールを上げて岸への接近を防ぎながらの作業です。総員3人ですから緊張しました。

 ようやく走り出しましたが、今度はエンジンに大量のジーゼルを送り込み余った燃料は本タンクへ還流させる仕組みなので、10リットルのポリ缶はたちまち底を付き、再び船を止めて、今度は還流用のホースを切断してポリ缶へ差込み、本タンクへ戻る燃料をポリ缶へ送り込むようにしまし代わりに差し込む応急修理を行いました。

 再びエンジンを再開して、最も近いペンダーハーバーという田舎の港に入港。グロッサリーストアには多少のマリン用品はありましたが、ホースを繋ぐ細い銅パイプなどはあろうはずもなく、ジョージはシャープペンシルをワンパック買い求め、これを壊して軸のプラスチックを銅パイプの代わりに使って別のビニールホースと接続して延長し、ポリ缶を別の部屋に移し、エンジンルームの蓋を閉められるようにする応急修理を施しました。

 シャーペンの軸は本来こんな使い方を想定していませんし、しょせんはプラスチックですから熱せられたジーゼル油で1時間もするとグンニャリとなって接合部から抜け、その度に新しいシャーペンの軸に取替えましたが、本数も足りず、ホースの延長は諦め、最後はエンジンルームの蓋を取り払い、短いホースを直接ポリ缶突っ込む最初の方法で乗り切りましたが、最後はジーゼルエンジンの物凄い騒音とジーゼル臭に悩ませながらの走りでした。

 この他にも再三のトラブルに見舞われましたが、それでもなお、カナダ西岸、BC週の北限の島クイーンシャーロット諸島はスーパーナチュラルの自然が残っていて、苦労をしたかいがありました。

 世界自然遺産に登録されているアンソニー島では、ハイダ族インディアンの朽ち果てつつあるトーテンポールの遺跡には胸を打たれました。永年の憧れだった霧の向こうの神話の島への航海を終えて、今はまだその余韻に酔っています。
 
 
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