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年末のご挨拶(^・^)

 投稿者:黒路よしひろ  投稿日:2017年12月31日(日)12時22分29秒
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  みなさま、今年も短歌入門部屋へアクセスしてくださりほんとうにありがとうございました。
今年は僕個人に限って言うなら、椎間板ヘルニアに苦しんだ一年で、十月にはとうとう救急車で運ばれて緊急手術、その後、三ヶ月間もの入院生活を送ることとなってしまいました。
ただ、不幸中の幸か手術が早かったおかげで下半身の麻痺も徐々に回復。
当初は一生、車椅子生活の可能性もあると言われていたのが、いまではなんとか自力で歩いて日常生活を送れるまでになりました。

三ヶ月間のリハビリ病棟での入院生活では、他にも事故や病などで一瞬にして人生を狂わせた人達がたくさん居て、そんな人達とお互いに悩みを語り合い励まし合ながらリハビリに専念しました。
また、そんな患者達に寄り添って生きる、看護師や病院関係者の人達の温かさも実感しました。

健康であった時にはどんなに想像を働かせても知ることの出来なかった障害のある者の「想い」も身を持って経験し、側で見聞きすることも出来ました。
周りの無理解や誤解に遭遇した時、障害のある者が口を閉ざして黙ってしまうしかないという悲しい現実…

短歌は他人の「想い」を共感、共有して初めてその鑑賞が成り立つものだと思います。
でもその「想い」を共感するための経験自体が読み手の側に存在しない時、詠み手が伝えるはずだった「想い」は何処へ行ってしまうのでしょう…

「想い」を伝えるための言葉の「技法」。
「心(想い)」と「言葉(技法)」のどちらが大切かは短人の永遠の課題だとも思いますが、あるいはさらに短歌の言葉の技法を極めていけば伝わらない「想い」を伝えることも可能なのでしょうか?

短歌に関わる者が言葉の力を信じなくてどうするのか、と叱責を受けるかも知れませんが、この三ヶ月間は理想と現実の隔たりを実感してしばらく歌の世界から距離を置いてしまった期間でもありました。

車椅子から歩行器へ、歩行器から杖、杖から自力での歩行へと…
障害者と健常者のはざまに身を置きながら、いままた少しずつ短歌の世界に戻ってきた僕には、ふたたび言葉の力を信じるためにこの課題に向き合う必要があるのだと感じています。

百発のミサイルよりも千発の銃弾よりも重きものと一つの言葉を信じて託す

かつてのまだ若かった頃の僕が詠んだ歌ですが、言葉にもしも戦争を止めるほどの力があるのなら、小さな人間一人の「想い」を伝えるぐらいの力はきっとあるはずなのだから…

さまざまの希望の欠片積み上げて人は生きをりリハビリセンター

ではでは、改めまして、みなさま今年も一年間ほんとうにありがとうございました。
新しい年もまたどうぞよろしくお願いいたしますね。
みなさまそれぞれに、どうぞよい新年をお迎えください。

黒路よしひろ(管理人)より。

 
 
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